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ニュースレター 第13号

私の感じたここちよい景観…「トンネルを抜けると・・・・」(土井としみ)
1996年度はこんなことをします(東孝次)
まちのよそおいとむらのなりわい(斎藤昌彦)
ワークショップの原点(瀬口哲義) この本紹介・・・『「超」勉強法』(野口悠紀雄著・講談社)

私の感じたここちよい景観…「トンネルを抜けると・・・・」    土井としみ
 トンネルは、わたしの暮らしの切替え点。
 下り線は、気持ちを引き締めいざパートの職場へ、歯に衣着せぬおしゃべり仲間の集まりへ、そしてささやかなワードローブの中から精一杯きめて呑み会へ(年に数回しかない)と、きりきり、るんるん、わくわくなどと繰り出す出発点です。
 上り線は、おわった終わった、よかったよかったと、疲れた身体と充たされた心でもって家路へ急ぎ、素顔のわたしにかえる帰着点なのです。
 オレンジの照明に吸い込まれるように、随道内に入るとそこは緑豊かな入り口とは違う異空間。469mを走る抜けると、別の世界が待っているのです。

 わたしの暮らしに無くてはならないそのトンネルの名前は「七尾山トンネル」、国道9号、県庁の東700mの位置に上下線二つ並んでいます。
 でも、たまにクルマでなく自転車で通ると、爆音、騒音にたじろいでしまいます。早く抜けたいとせればかり。
けっしてここちよいとは言えないのですが、クルマの中から見るだけのここちよい風景は、ひょっとするといつも、い・つ・わ・り?

1996年度はこんなことをします    東孝次
5年目となる1996年度は、“継続は力なり”をモットーに実施させていただきます。
引き続き、皆様のご支援、ご協力を賜わりますよう、よろしくお願いします。

“96手作り景観賞”の募集・審査・表彰
私たちのグループの主要な行事である“手作り景観賞”の募集・審査・表彰は、1996年度も実施します。今回の応募部門は、「たてもの」に限定しました。応募対象施設、応募方法、審査方法は、例年どおりです。審査会場についても、1995年度と同様8会場で行う予定です。今年度も、各会場では山口県建築士会青年部のご協力をお願いしています。審査員については、前年度と同様“まちのよそおい”に関心のある一般の方々にお願いすることにしています。昨年度実施した、世話人が手分けして現地調査を行った上で、グループとして心地よい景観と考えられる施設に贈る「世話人賞」も表彰することにしています。多くの方々からのご応募を心よりお待ちしています。
なお、本年度の新しい試みとしては、発表会・表彰式に先駆けて、風景の作法研究会とパネルディスカッションを行うことがあります。最終的に実現するかどうかは、同会との今後の調整によります。ご期待くださいますようお願いします。

“私が感じたここちよい景観”の募集
引き続き、「私の感じたここちよい景観」の募集を行います。応募のあった作品はすべて各地での審査会場に展示することにしています。あなたの心地よいと思っている景観を1枚の写真にしてお寄せください。日常生活の中で気持ちいいなと感じておられる眺めを、ぜひご紹介してほしいのです。応募しようかなといった気持ちでさまざまなものを眺めていますと、今までとは違った世界が見えてくるかもしれません。

引き続き、ニュースレターの発行や活動報告書の作成も
会員の皆様への情報紙であるニュースレターについては、毎年同様、3回発行する予定です。また活動報告書についても、引き続き作成したいと思っています。もっと読みやすいものになるよう工夫したいとは考えています。

 
まちのよそおいとむらのなりわい    斎藤昌彦
「文明の初期の時代が農村から都市の出生を意味し、その後期時代が都市といなかの闘争を意味するとすれば、文明とは都市の勝利であって、文明はこれによって土から解放されるとともに、自ら没落していくのである」 オスヴァルト・シュペングラー著、村松正俊訳、『西洋の没落』、五月書房、1982年、第2巻、89頁

私は、農業試験場に勤めています。近年、農業分野では、都市と農村の交流が大きな問題であり、その中で「農村景観」を如何に考えるかが小さな研究機関である農業試験場でも課題となっています。この課題に直面して、従来から景観を考えてこられた、このネットワークに参加しました。その際、「まちのよそおい」があるように「むらのよそおい」もあるのではないかと話しました。その後、定例会で「農村景観」についてという大層な題で報告したが、内容は今まで私の研究室で撮影してきた農村の写真を紹介したものでした。
この報告では、県内の美しい農村景観が少しづつ失われつつあることを参加者に印象づけてしまいました。農村景観をどう維持するかは大きな問題ですが、そこに住んでいる人達がそのために払っている負担が大きいことも事実です。この点を無視して単に保全だけを述べるべきではないと考えています。
先にむらにもよそおいがあると述べましたが、農村は、まちと異なる存在であり、よそおう場ではないと今は考えています。
むらは、生産と生活が共存した空間です。農業という生業(なりわい)が、生産と生活の場である空間を形成してきました。美しいと思われる農村景観は、多くの人間の手が生み出した産物なのです。しかし、美しいと日本人なら感じるであろう農村景観は、経済効率から考えれば、生産性の著しく低いものです。経済界から、日本農業はその存在理由が認められていません。また、農村に住んできた人々も同じように農業に魅力を感じなくなりました。多くの農村では、高齢化や後継者難という問題が生じてきています。このことは、農村景観という生業のうえに築かれているものを維持できないようにしています。
まちは、「待ち」の場であり、むらは、人が生業のために「群」がる場です。まちは、待つための装いが必要でしょうが、むらは、生業のための空間(土地)が必要だったのです。しかし、土地から生み出されるもの(農産物)だけで生活することができなくなり、生業は崩壊しました。生業の崩壊は、今、農村景観の崩壊として表面化してきています。
この生業の復活のためには、既存ライフスタイルの改革が必要だと考えています。そして、このライフスタイル改革のためには、まちとむらの関係を再構築していく必要があります。このまちとむらの新たな関係なくして、みなさんの「原風景」の中にある農村景観は守れなくなっています。

ワークショップの原点    瀬口哲義
 5月に北九州市かぐらよし少年自然の家で行われたワークショップに参加しました。フィリピンから来られたアーニーさんのワークショップシアターに参加して、ワークショップの原点に触れることがでました。
 ワークショップは南米の識字教育に原点があると言われていますが、アーニーさんの英語でのお話は、英語の分からない私にとっては、南米の識字教育そのものを自ら体験したことになりました。フィリピンの貧困地区の子供たちに対しての「なにをしたいのか、どのようなことを感じているのか、本当に必要なものはなになのか」という問は、物質に満ちている日本の私たちにも言えることで、アーニーさんと私には、英語という言葉の隔たりがあり、行政、住民、専門家には、それぞれの言葉や価値観があり、住民同士でも、家族の間でも、価値観の違いがあります。
 同じ地球に生きること、同じ地域で生活すること、同じ施設を利用するとき、共通理解による判断が必要になってきます。共通に理解できる「ことば」で、合意形成していくことが、ワークショップの底に流れているもっとも重要なことであると、アーニーさんのことばそのものでなく、からだ全体から感じることができました。
『「超」勉強法』を読んで
超ベストセラー『「超」勉強法』にも景観的な雰囲気が大切だとうい指摘がありました。
それはP42のコーヒーブレイクで、「大学の建物はなぜ魅力的でなければならぬか」です。この一文をネタに世話人の東と山根が話し合ってみました。

―超ベストセラー『「超」勉強法』にこんな記述がありました。―
山根:東さんも『「超」勉強法』読まれたんですね。わたしは『「超」整理法』以来、野口教の信者になっていろいろと実践中なんです。
東 :山根さんがこのコラム(コーヒーブレイク)をコピーして僕の机の上に置いてくれたんだよね。僕、もう読んでたけど。
山根:県立大の見学の前だったんでタイムリーだなっと思ってコピーしたんですよ。読んだときに「コレだ!!」って思ったんです。ここのタイトルが「大学の建物はなぜ魅力的でなければならぬか」じゃないですか。「なぜなら、多くの人々にとって、大学の精神は、その建物によってしか感知することができない…。」とある。これって大学内にいる人たちだけでなく、周囲、地域の人々にとっても影響力があると読んだんです。
東 :つまり、その大学の個性を表現するためには建物と周囲の景観、デザインの美しさが大切だし、大学のみならず多くの施設もこうあってほしいと言うことだね。
山根:そうです、そうです。それと学生への影響という面から見ると、良質な環境・建物というのは大学では遅すぎると思うんです。小学校時代というのは無意識に感性が形成される年代でしょう。感受性もとっても強い。この時期の生活時間の大半は学校で過ごしているんですから、小学校こそ魅力的・個性的な建物であるべきだと思うんです。
東 :そうだね。最近は学校建設も「量より質」の時代になっているから、景観にも配慮した良い校舎造りに取り組んでる自治体も増えてきているし…。
山根:わたしの場合、小学校を5つ転校しているんですけれど、みんな同じような白くて四角い鉄筋の校舎で一つとして心に残っている校舎というのがなくって、とても残念なんです。校庭のど真ん中にあったクスノキは枝の形まで覚えてるんですが…。
東 :山根さんの小学校の頃は「質より量」の時代だったと思うよ。
山根:それを言われるとトシがばれちゃいますが(^-^)。わたしの子どもたちには心の中に校舎や校庭がいつまでも残っていてほしいな…と思うわけですよ。
東 :住民の意識もそうやって「質」重視の方へ変わりつつあるんじゃないかな。
山根:わたしたち「まちよそ」の活動の大切さを感じますよ。