7 下関市南部郵便局(旧赤間関郵便電信局)

一見したところ西洋建築風の様相を示すが、そこには西洋の古興に本来備わる装飾は見られず、全体から受ける印象は禁欲的である。直線の組合せのみで成り立つ外観や、可能な限り単純化して構成される装飾からは、当時の古典様式の単なる模倣を起えた明治後期における日本人の西洋美学に対する独自の解釈と創造性を感じさせる。古典主義から一歩飛躍し、西洋美学を消化し始めた時期、近代建築史の第二世代の作品で、設計者の三橋は逓信省出身、当時の建築ジャーナリズムの論客である。入口上部のペディメントや窓枠には彫刻的な装飾はなく、古典主義での装飾を可能な限り単純化したファサードと言えよう。一時期壁面の目地が消えていたが、昭和58年当初の姿に修復され、同時に内部の模様替えがなされた。施工を手がけた京都の岩崎組は、この後1916年(大正5年)山口県旧庁舎・議会棟の工事を請け負う。
7 下関市南部郵便局
   (旧赤間関郵便電信局)
 郵便局
 1900年(明治33年)
 三橋四郎
 岩崎組
 煉瓦造2階建
 下関市南部町22−8